✔現行の制度で日本語教師として働いている人 ✔日本語教師養成講座(文化庁届出受理)を受講中、または修了した人 ✔日本語教師の国家資格「登録日本語教員」を取得したい人 |
今回の試行試験で目についたのは「日本語教育の参照枠」「日本語教育人材の養成・研修のあり方について」「日本語教育推進法」など、これからの日本語教育政策のガイドラインになるような資料からの出題でした。
これらの資料については、設問を通じてその内容を直接問うだけでなく、試験全体の基盤に位置付けられているように感じました。
一例を挙げると、欧州のCEFRの中で提唱され、日本語教育の参照枠でも採用されている「行動中心主義」。日本語教育能力検定試験においては、海外の言語教育の考え方の一つとして関連問題が出題されることはありました。一方、日本語教員試験においては授業実践に関する設問の中で非明示的に、行動中心主義的な考えから適切なものを選ぶことが求められます。
試験全体を通して、
「こいつらはこれから全日本語教師の共通理解として徹底していくからヨロシク!」
という作成者のメッセージを(勝手に)受け取りました。
一方で、現状への配慮もあるのか、試験に出てくるケースにおいて学習者の属性は「留学生」が多かったり、従来の言語教育の象徴のような構造シラバスに基づく授業設計、パターンプラクティスなどに関わる出題も少なからず見られました。
「既存の教育観」と「推し進めたい教育観」のせめぎあいの真っただ中、良く言えば絶妙なバランス、見ようによってはどっちつかずな印象を与えました。
本試験はその目的通り「『養成』段階に求められる専門性を備えた先生」、言い換えれば「教壇に立つ上での基準を満たす日本語教師」を判定できる筆記試験だったのでしょうか。
日本語教員試験の実施概要案によると、試験では「養成」段階の専門性3区分のうち、「態度」以外の「知識」「技能」、さらに応用試験においては、それらを活用した「問題解決能力」「現場対応能力」を測定するとされています。
個人的な関心ごとは、「知識」はともかく「技能」「問題解決能力」「現場対応能力」ってどうやって筆記試験でみるの?ということです。
今回の試行試験を振り返ってみると、確かにこれらの測定を明確にねらった作問が見られたと感じます。
それぞれのケースがかなり具体的に書かれていた分、その内容に賛否はあるかもしれませんが、多くの設問が教育現場での実際の教師の判断や働きかけを念頭に設定されていると感じました。
しかしながら、それらが解けたからと言って、「技能」「問題解決能力「現場対応能力」を担保できるのでしょうか。
試験において「学習者の発話上の特徴や適切なFB方法を選択肢から選べる」ことは、実際の目の前に学習者に対し、その特徴に気づき、適切なタイミング、適切な手段で指導できる(あるいは指導しない)こととイコールではありません。
実際に「現場で適切に判断、行動できるか」は、現場の文脈における様々な要素や状況が複雑に関わります。その意味で、この筆記試験で問えるのはあくまでポテンシャル——適切に判断できる、行動する上での「知識」に過ぎないように思います。
ただこれは既に決まっている問題形式上の限界であり、解決できない(=考えても仕方がない)こととも思います。そのような問題意識をいったん思考の外におくならば、今回の試験は挑戦的で、作成の多大な労力や困難が伺えるとともに、私自身勉強になることも多かったです。
さて元の話に立ち戻り「教壇に立つ基準を満たす日本語教師」を判定できるかという点について。
「もし私が日本語学校の教師採用担当だったら」という思い切った想定で考えてみることにします。
これまでの日本語教育能力検定試験で8割をとったA先生と、新しい日本語教員試験で8割をとったB先生、採用担当として魅力的なのは大差でB先生だと私は考えます。
それがポテンシャル——知識どまりであっても現場で必要な「考え方」は備えているという判断まではできますし、もしその知識を実践できる力まで持っているのであれば、これは中堅以上のレベルの先生と判断します。いずれも日本語教育能力検定試験ではできなかった判断です。
反面、日本語教員試験でさほど得点を取れないからと言って、養成修了レベルに達していない先生とは判断できません。なぜなら今回の試行試験に限って言えば、「養成」段階以上の能力が問われたように見えたからです。
具体的には応用試験Ⅰの音声問題です。本問題のように聴くチャンスが一度きり、その後すぐ即時(場合によって複数の観点から)判断、対応するというのは、「養成」段階の教師には求めすぎに感じます。実際の現場では、学習者のことばに違和感を覚えたら聞き直して確認することもできますし、日本語の試験問題の見直しをこんな短時間でせっつかれる状況はあり得ません。
また試験の妥当性から見ても、集中力、情報処理能力など測定したいもの以外の能力が求められる印象です。もちろん対策を一切しなくても解ける先生もいるでしょう。それはその方が掛け値なしにスゴイ先生なだけであって、それが教壇に立つ上での最低基準にはなりません。
応用試験Ⅱの方にも、確かに現役の先生であればわかるだろうけど、教壇に立つ前から知っておく必要があるか微妙なものもありました。また国語文法の理解を前提にしたような設問は、国籍要件のない本資格の趣旨と衝突しているように見えます。
そもそも受験者は応用試験に向け、どこで何をどのように学習することが想定されているのでしょうか。教師に本当に必要な能力を求めるのは良いことですが、「どう学習するかはそれぞれ考えて、自分でがんばって!」というのはアンフェアに感じます。
強いて効果的な対策を挙げるなら「現場で教師経験を積むこと」でしょう。しかし認定日本語教育機関の教壇に立つためには、(経過措置が終われば)応用試験の合格が求められるという、「タマゴとニワトリ」状態になっています。
さて色々と言いたいことを言ってきましたが、今回の試行試験はリニューアルの第一歩目であり、これからいろいろと改良を重ねていくことかと思います。そこには受験者や現場の声も反映されていく(はず)でしょう。これまで異様に比重が高く聖域化?していた「発音」が崩されたことからも変革を厭わない姿勢が見られます(個人的に発音は大好きです)。
希望のことばで締めくくるのであれば、「教壇に立てる先生」を担保できる試験に近づいている!ことに強い期待を抱かせる今回の試行試験でした。
目次に戻る
(参考資料)
カテゴリー: 日本語教員試験(試行試験) 日本語教師の国家資格 | 2024.02.03