公式ブログ「夢を実現するステップ」

講師・職員の横顔⑩ 新宿校 さと先生

Q.さっそくですが、講座でのさと先生のご担当は?

実技と理論を担当しています。

 

Q.プライベートのことで恐縮ですがオフは何をしていますか?趣味、特技、好きなこととかあれば教えてください。

ヨガに行ったり、おいしいものを食べたりしています。

最近は、江戸が感じられる東京の東側を巡るのが好きです。

南国育ちなので、寒い冬はこたつに入っていることが多いですが(笑)語学オタクなので、

春からはポルトガル語講座に通おうかと企んでいます!

 

Q. トップ写真に選んだ「わたしの1枚」についてお聞かせください。

キューバでの写真です。

現在も1200名の日系人が暮らし、ハバナ大学でも日本語が教えられています。

 

Q.さと先生の「これまで」について自伝的に熱く語ってください!

小さいころから、「ことば」に興味があり、納得しないと前に進めない(進まない)性格でした。

 

~地域の日本語教室、青年海外協力隊・シリアダマスカス大学~

学部生時代に始めた地域日本語教室でのボランティア活動を皮切りに、日本語を教えるようになりました。

社会人になってからは並行して、日本語教師養成講座に通い、日本語教師に!!

養成講座終了後、JICA青年海外協力隊に参加。

派遣地は今も内戦が続くシリアのダマスカス大学言語センターでした。

そこで、様々な専攻の学生や社会人に日本語を教えたのですが、

日本・日本語への思いが熱く、日本から地理的にも文化的にも離れたアラブで熱心に日本語を学ぶシリア人の姿に、毎日感銘を受けていました。

また、アラブ文化にもっどっぷりつかった2年間でした。

それまで日本で報道されていたアラブ社会とは異なる側面を見て、

それまで自分が見てきたものや情報が如何に制限されていたものかを痛感しました。

まさに、「無知の知」でした。

 

~インドネシア、日本国内・日系人との出会いへ~

シリアから帰国後すぐにご縁があり、インドネシアへ(またまたイスラム圏へ)。

EPAインドネシア人看護師・介護福祉士の事前日本語研修に参加。

ここでは20数名の教師と400名近くの研修生が一緒に苦楽を共にして、

一つの目標に向かって半年間突き進んでいくという貴重な経験をしました。

半年間の短いプログラムでしたが、2年分に匹敵するほどの中身の濃さでした(笑)。

そして日本に戻り、日本語学校、大学の留学生別科などで留学生を対象に、

並行してリーマンショック後に職を失なった日系人を対象にした就労準備研修で教えることに。

そこで「顔も名前も日本人だけど、ひらがなから日本語を学ぶ日系人」に出会ったんです。

1年間を通じて、どんどん知りたくなって、その後JICAのブログラムでブラジルの日系社会で2年間、教鞭を執ることになりました。

 

~ブラジルへ、子どもに教えること、継承語教育~

ブラジルでは、幼稚園生、小中高、大学生、社会人、老人クラブと幅広い世代に教える機会を得ました。

(老人クラブではもっぱら2世のおじいちゃんおばあちゃんから学ぶことが多かったですが)

また、「継承語教育」という新たな日本語教育の現場を通じて、改めて「日本語教育」について再考する日々。

思い出深いのは、カラオケ大会(司会・審査員。出場も!)、和太鼓、運動会、敬老会などの各種行事も盛りだくさんで、

南半球にいながら、ブラジルで継承されてきた日本文化に触れる、貴重な経験でした。

ここで初めて年少者に教えることになったのですが、

親に言われて日本語学校に来ている子どもたちにとって、

ひらがな、かたかな、漢字と日本語は文字が多い(笑)。

とにかくモチベーションを引き出すことに苦労しましたね。

いかにおもしろく、集中してもらえるかを常に考えていました。

子どもに教えるって難しい、でも子ども成長を見るのはおもしろい!と知りました。

そこで、「教育学」を一から学びたいと思い、修士課程に進みました。

 

Q.日本語教育で興味のある分野とか専門とかってありますか?その魅力や面白さも教えてください。

大学院では教育学研究科にて、比較教育学(Comparative Education)を専攻し、

「異文化間を移動する(せざるを得ない)日系ブラジル人児童生徒の適応過程」をテーマに研究をしました。

親の都合で、日本に来たり、ブラジルに帰ったりする子どもたちが二文化間を移動する中で、

どのように言語や習慣を習得し、最終的にどのような教育達成を遂げたかということをリーマンショック以降に突然ブラジルに帰国した子ども達のその後を追いました。

葛藤しながらも、何とか生き抜いていく子ども達の姿や、

彼/彼女たちが紡ぎだす言葉の力強さに何度も胸が熱くなりました。

現在、外国人の受け入れ拡大を推し進めている日本ですが、その受け入れ態勢がしばしば指摘されています。

小中学校に日本語指導員として、インドネシア人や日系ブラジル人の子どもたちに教えたり、

生活者の方に就職に向けた日本語指導をしてきましたが、箱(制度)と中身(教育実践)の両方が重要だとつくづく感じています。

外国人児童生徒を受け入れる教育システム整備や教育実践に何らかの形で関わっていきたいですね。

そのために、移民制度の進んだ国で、いろいろと学びたいと思っています。

あとは最初に教鞭をとったシリアにいつか日本センターを作って(10年前からの野望)、

日本語やアニメ論、オタク論、復興論といった様々な講座をシリア人と一緒に作り上げたいですね!!

 

Q.養成講座で印象に残っているエピソードとか、講座担当者として大事にしていることとか、教えてください。

毎回、コースの初日に受講生の皆さんに、「養成講座に通われるようになったきっかけ」と「過去の外国語学習歴」を聞いていますが、

みなさんの人生や思いが詰まっていてグッとくる瞬間です。

また、受講生の方のバッググラウンドや世代、性差も超えて、コースが進むにつれて「同志」になっていく姿を見ると、

純粋に良いなと思いますし、刺激をいただいています。

 

Q.最後にこれから日本語教育を学んでいる方々、学ぼうとしている方々にメッセージをお願いします!

日本語を教える仕事は単に言語を教えるだけではなく、

多様な人々の人生に触れることができ、日本語を客観的に見られたり、学習者を通じて、いろいろな思想や社会を知ることができます。

そして、自分の価値観を広げることができます。まさにいろいろな学びとやりがいのある仕事です!!

 

お話、ありがとうございました!

カテゴリー: | 2020.03.13

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